| メコンの船旅 (1) | ||
![]() ルアンパバンからフエサイへ (クッリクすると拡大)
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かねてこの船旅をしようと思いついたのはもう7、8年前になる。タイのチェンコーンからフエサイに渡りルアンパバンへ下るコースを考えていた。しかし、なかなか実現できなかったのは時間的余裕がなかった。今は時間だけ有り余る身分になった。そこで今回、タイ東北部のクメール遺跡を見た後、ビエンチャンから飛行機でルアンパバンへ飛び、そこからフエサイへ遡るコースを選んだ。 ルアンパバンで宿泊したプーン・サブというゲストハウスの隣にボートの予約を預かる旅行代理店があり、英語を話せるお嬢さんが応対してくれた。 スピードボートは1,000バーツ(所要約8時間)、スローボート(所要日程1泊2日)は600バーツ。彼女の説明によると、スローボートは屋根付の35人乗り大型船、スピードボートは屋根無しの8人乗り。お薦めはスローボートだという。ボートの実物や走り具合を知らぬまま、大河をスピードボートで突っ走るのは面白そうだし、一日でフエサイに着くことから1,000バーツ、3月24日便を選んだ。 ルアンパバンに着いた当日の22日に予約した。その日の午後11時、眠りに就こうかという頃、雷鳴とともに激しい雨が降り出した。外はまだ人通りがある様子だったが雨音と雷にかき消された。停電してすっかり暗闇に包まれ、それを破る青白い光、細長いルアンパバンの町を縦に貫くような落雷の轟きが走る。昼間にも雷を伴う雨が降り、風も強かった。たまにはこうした雨も降るのかくらいに思っていた。しかし、今夜はどんな雨具も役に立ちそうにない豪雨である。 朝方4時に雨音で目が覚めた。昨夜の雷雨ほどではなかったが、それにしてもよく降るもので30分間ほど続いた。 この自然の猛威を目の当たりにして自分の体力と装備を考えるとスピードボートは諦めざるを得ないと観念した。先を急ぐ旅でもなし、ゆるゆると行くことに決め、旅行代理店を再度訪ねると彼女は私の用件を聞くまでもなく察知し、にっこり笑ってスローボートに変更してくれた。 |
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| 7時半集合と聞いていた。乗船すると、私より先に一人だけ20くらいの青年が大小の荷物を積みこんでノートを片手に中身を確かめている。ルアンパバンへ商品の仕入れに来たものらしい。この"おにいちゃん"ともう一人の"おじいちゃん"とお喋りしながら旅することになった。 | 7:20 | |
| どやどやとたくさんの乗客が乗ってきた。 食事が始まる。車座になって真ん中に置いた蒸したもち米(カウニアオ)と惣菜をほおばる。 | 7:50 | |
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何の合図もなく出発。乗客数はちょうど一艘を満たすくらいだった。椅子席は2人x横2列x15。中ほどに椅子のない茣蓙を敷いたところに子供連れの母親達と荷物。 生まれて6日目という赤ん坊も乗っている。外人は私を含め7人。 | 8:45 | |
| 同じタイプの2艘の船が追い越していく。ラオス人の"おじさん"にあの船の行き先を尋ねると、われわれと同じフエサイだと言う。船はわれわれのより少し大型である。船賃は800バーツだという。(われわれの船賃は600バーツ)
しかし、少々速かろうと今日中にフエサイへ着くわけではあるまい。あの船もせいぜいパクベンまでだろう。 椅子の下にはLion2000というブランドのウイスキー(700ml x 12 )が二箱ずつ置いてある。このウイスキーはすべてバクベンで下ろされた。 | 9:30 | |
| 今は乾季の終わりで水深はもっとも浅い。川の中ほどにある岩礁に残る高位の浸水線は1mほど上にある。 | 10:30 | |
| 左手に洞窟とその中に仏像が祀られている。観光客がボートで訪れていた。パクオウ洞窟である。ルアンパバンから2時間、およそ35km遡るところである。 16世紀にセ タティラート王により発見されたといわれ、洞窟内には人々が運び込んだ4000体 以上の仏像が安置されているそうだ。 | 10:40 | |
| 左手の砂州で象が木材運搬の作業をしていた。タイでは樹木の伐採が20数年前に禁止されてからは象がこうした作業をすることはなくなった。いまは限られた場所で昔の仕事振りをショーとして見せている。しかし、ラオスでは今もこうして象が仕事している。 船を慎重に蛇行させながら操船しているのは漁師が仕掛けている刺し網や簗を避けていることもあるのか。 スピードボートが追い抜いて行った。全員がライフジャケットとヘルメットを着用し、激しいエンジン音とピッチングで乗り心地は良くなさそう。あれに乗るつもりが雷と豪雨に驚かされ、思い止まった。この船はスローだけど乗り心地は良い。 操舵手が曲がる要所で度々後ろを振り返るのは、岩礁と船の位置関係を測るため山立てをしている。瀬戸内海の漁師と同じ観測方法である。 | 10:50 | |
| 初めて乗客を降ろすため洲に停泊した。桟橋も何も無い、砂洲に舳先を突っ込むだけである。洲を離れるときは竹竿を突き出す。夫婦と幼児を下ろし、すぐ出発した。 | 11:25 | |
| 2度目の停泊地で男1人が降りた。
川幅が狭くなり両側に岩礁が迫るところでは岩に差し込んだ竿やプラスチック容器がブイの代わりに浮いている。魚の道筋になるところらしく仕掛けがあるらしい。これが船の行く川筋を知る助けにもなっている。昼間でなければとても航行できる川ではなさそう。 | 11:48 | |
| 釣り船が数艘、舫っている右手の砂洲に着ける。少数民族らしく髪を布で巻いた女性2人を含め、7人の大人と背負われた子供一人が降りた。 | 12:40 | |
| 老夫婦一組が降りた。 岩場や砂地にも竿を刺している。延縄漁のものらしい。 | 13:20 | |
| 母親が男の子をおんぶして降りた。 外人は英語系カップル、英語系男とラオス女のカップル、英語系女1人、日本人男1人と私の計7人。日本人男はちょび髭を生やした年のころ23、4に見える。乗り込んで以来挨拶も交わすことなく、こちらから話しかけることはしなかった。水も食べ物も用意していない。かれは同乗のラオス人が夕食のとき分けてくれたカウニヤオ(もち米を蒸かしたもの)と船で用意している飲み水を手に入れたくらいである。 操船を見ていると素人目にも分かる基本的なルートの選択方法があるように思う。川の両岸を見て岩肌と砂洲があるときは岩寄りを取り、急流やさざ波のある瀬を避けて、渦の少ない流れを選ぶようである。水面の様子から水深があるところを目で探しながら舵を操っている。 | 13:45 | |
| 左手の砂洲に夫婦と子供が降りた。前もって伝えていたのか、何の合図もなく停泊所らしき表示もないところへ船の舳先をつけた。 | 14:05 | |
| 急に厚い雲が空を覆い暗くなってきた。ここ2、3日午後は天気がくずれるようである。一雨きそうな空模様になってきた。 | 14:20 | |
| 船の前方は西に当るがまだ晴れている。南の雲間に雷光一閃。雨雲の下に雨が落ちている様子が見て取れる。スピードボートなら恐怖の襲来に違いない。私はその恐怖を避けてこのスローボートに変えた。 | 14:30 | |
| 雨に会うだろうという私の予感は当った。大粒の雨が船縁を叩いた。船長の息子2人がビニール製の窓の被いを下ろす。乗客も手伝った。 14:43 被いを下ろし終わると外の景色は見えず船内は薄暗くなった。 | 14:35 | |
| 雨は一段と激しくなり屋根を叩く雨音がすざまじい。 船内に青白い光が射し込み、雷鳴が轟いた。そんな中をスピードボートとすれ違った。エンジンの音だけが大きくなり小さく消えていった。 | 14:50 | |
| 雨は止んだ。ほんのり陽射しが戻ってきた。20分少々の雷雨の強襲だった。 | 14:58 | |
| 若者連れ他11人が降りた。9人は川上へ、2人は川下へ向って歩きだした。 | 15:15 | |
| また、雨が落ちてきた。一度巻き上げた雨除けをまた、あわてて下ろした。要領が分かったので私も手伝った。 | 15:28 | |
| 豪雨と言うに相応しい雨脚が川面を騒がす。川上の方角に当る正面に陽射しを受けながら進む。 | 15:33 | |
| 右手の林の中に新築中のお寺が見える。長い船旅の間、岸辺に民家や建物を見ることはめったにない。ましてやお寺が建てられていようとは思い及ばなかった。 乾季の間、水位が下がったことで砂洲の上は肥沃な耕作地になるのであろう。牛や水牛が入らぬように流木などで簡単な柵をこしらえ、その中に野菜などを栽培している。 | 16:00 | |
| 2人の男が沢山の荷物を持って降りた。乗ってくる人は1人もいない。岸辺に船が近づくのを見た子供たちが5、6人集まってきた。手に手にやしの葉の茎だけを杖状にしたものを砂の上を滑らせながら遊んでいる。 日本人の"ちょび髭"が初めて近寄ってくるなり、「何時に(パクベン)に着くか分かりますか」「こんなところで時間はないでしょう」かれは納得できないような顔で自分の席に戻った。乗客のうち外人の他は時計を持っていない。 彼は朝から水のほかは何も口にしていない。お腹が空いているに違いない。 | 16:38 | |
| スピードボートとすれ違う。どこまで行くのだろうか。これまで人気の多い町とか村と言ったような所は一つも無かった。こんな時間から陽のあるうちにルアンバパンへ着けるのだろうか。 | 16:45 | |
| スピードボートが追い抜いていった。激しい爆音と水飛沫を蹴散らしてあっという間に去った。まるで水上の暴走族と言った方がよさそうである。 | 17:00 | |
| 白っぽく見える茶色の水牛がいる。初めて見る珍しい毛並みの水牛である。この焼け付くような暑さの下で水辺は彼らの天国である。 | 17:18 | |
| 陽は山陰の向こうに落ちた。暗くなりかけたこの時は間もなくパクベンへ着くのだろうと思っていた。暮れなずむ水面に溺れ死んだ動物の死骸が流れて行くのを見やった。 | 18:00 | |
| 陽は完全に沈んだ。薄暮の中を何所まで行けるのだろうか。それとも途中で停泊するようなことになるのだろうか。 | 18:15 | |
| 砂洲に船を寄せた。女性が水浴している。子供も寄ってきた。遠くに人家らしきものがある。まさかここがパクベンの村とは思えない。男一人を降ろして、船は出発した。
この後、船は2時間余り航行した。この船にヘッドライトは無い。暗闇の中を懐中電灯一本で左右の岸を照らし、川幅と船の位置を確かめながら、片手で舵を操るのは経験豊かな船長といえども容易なはずはない。ふと、自分がこの船の乗客であると思うと空恐ろしくなってきた。昼間に見た川の流れは渦巻き、時に波立つ激流、突出した岩礁も今は闇の中に消えて見えない。それだけに恐怖心が増幅する。泳ぎ達者な自分だが、闇の中で大河の流れにはどこまで流されるや飲み込まれるか無力である。 |
18:37 | |
| ほぼ12時間かけて午後8時35分にパクベンへ着いた。船長が明朝、船へ集合は7時半と念を押した。 外人は私を除いて皆が宿を取るため降りていった。"ちょび髭"も「ここはパクベンですか」と私に訊いたあと降りた。私はここにある宿の情報をまったく持っていなかったので、この船に寝込むことを決心した。 さて、寝床の準備をすることにした。船中に泊まるのはラオス人と私だけである。後方の椅子を前に押しやってスペースを作り、茣蓙を敷くだけである。全部で10畳ほどの広さになった。暗闇で作業するのに手持ちの懐中電灯が役に立った。荷物の雨濡れを防ぐため用意していたビニール製の袋2枚を縦に並べ、ボストンバッグを枕にすると私の寝床は出来上がった。船に備え付けの毛布一枚を貸してくれた。乾電池付ベープマットを枕元に置くとラオス人が珍しいそうに見にきた。「蚊が嫌いなものだ」と言うと、「ここに蚊はいない」と言う。船までやって来ないようだ。 ラオスの人達との会話はぜんぶタイ語で交わした。ほとんど不自由なく理解できた。 9時を回っているので眠気は十分、固い板敷の床も気にならず、周りの話し声も知らぬ間に眠りに落ちた。夜中に寒くて眼が覚めたので、ビニールのレインコートを出して毛布の上に掛けると、また朝まで休めた。 | 20:35 | |
| メコンの船旅 続く | ||